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現代インドネシア 1001景

「契約結婚:ケース2・・・」(2005.10.31)

バンテン州バララジャの工場で働くジュアリア25歳は長女だ。父は母と別れ、そして母は再婚した。ジュアリアの下には血のつながった弟がいて、いまは高校生。そしてその下に母と義父の間にできた子供がふたりいる。義父はチアンジュールで乗合バスの助手をしており、母は定職がない。この一家を経済的に支えてきたのがジュアリアなのだ。

ジュアリアはこれまでの人生で、何人かの男と付き合ったことがある。しかし似たような工員という境遇では、結婚してもその先やっていけるかどうかの確信が持てない。結婚の申し込みもひとつやふたつでなかったが、ふんぎりがつかないままずるずると過ごしてしまった。そしてあるとき、本国に妻子のいる年齢の離れた韓国人から結婚が申し込まれ、ジュアリアはその現地妻になった。ただしこちらも、人を介しての申し込みだった。

結婚するとき『夫』は、住宅地区にある広い家と日産Xトレールをジュアリアに買ってくれた。チアンジュールの親の家も、『夫』が木造からレンガ造りのものに改築する金を出してくれた。ジュアリアはどこへ行くにも、そのXトレールを乗り回している。「同じ工員同士で結婚していれば、こんな暮らしは絶対できないわ。重要なのは、夫が生計を成り立たせてくれることよ。」

『夫』がジュアリアの家に来るのは週末だけで、時にはまったく顔を出さない週もある。『夫』は子供を作る気がなく、青春生活を謳歌しているジュアリアとは意気投合する部分だ。『夫』との間の約束は、夫が帰国すればジュアリアが使っているすべてのものはかの女のものになる、ということ。しかし二人の関係はそこで終了する。『夫』は夫でなくなるということなのだ。そして言うまでもなく、赤の他人に変身する。

ジュアリアは今の暮らしをエンジョイしているようで、実は屈折した感情の中にいるにちがいない。自宅に帰るとき、隣近所の住人と顔を合わせると、顔が自然とうつむいてしまうと彼女は語る。後ろ暗い思いがジュアリアのハルガディリを失わせている。
「最近の高校生は・・・」(2005.10.24)

「最近の生徒たちは昔とだいぶ変わったよ。」そう語るのは、南ジャカルタ市クバヨランバルにあるパグディルフル高校のヘリ・プラスティヤ先生。かれはその男子高校でもう8年間、物理と数学を教えている。昔も今も、校内での師弟関係のあり方にあまり違いはないが、学校の外で出会ったときは、最近の子供たちの方が衒いもなく声をかけてくるそうだ。「昔の子供たちは先生を避けようとした。今の子供たちの方が大人への尊敬をしっかり示すようになっている。昔の生徒たちは言うことを聞かず、教師にいたずらをしかけてきた。新しい先生はまず必ず生徒のいたずらの犠牲者になったよ。中には爆竹を投げつけられて、びっくりして顔色が変わった人もいた。でもその爆竹は、中身の火薬は抜いてあったけど。昔の方がだいたいワルだったね。でも団結力があって素朴だった。みんな学校の近くのワルンミーやワルテッに集まって時間をつぶすのが好きだった。家に帰るのも一緒にバスに乗って。家庭の貧富の差が子供たちにはあまり反映されていなかった。ところが今の生徒たちは、家が豊かか貧しいかは見ればすぐわかる。豊かな家の子はたいてい自分で車を運転して来るか、あるいは運転手の送り迎え。学校近くのワルテッも生徒が集まってる姿はもう見られない。今、生徒たちが時間をつぶす場所はチトス(Cilandak Town Square)に変わったようだ。だから、生徒たちのかっこうも、きちんとしてて、ダンディで、良い香り。腕時計も靴もブランドもの。長髪で何日もマンディしていないような子はもういない。」

ジャカルタの私立高校生はこの10年ほどでそのように変わったという、現場教師の証言。

「続 学歴」〜中卒の教師(2005.10.17)

南ジャカルタにあるパグディルフル小学校の校庭をひとりの青年が歩いている。背に『チピナン囚人677』と書かれた黒いTシャツを着、ブルーの幅広ズボンにゴムぞうり、耳には大きなイヤリングをぶらさげている。かれはアンドレ24歳。かれがその中流層以上の家庭の子弟が集まる有名私立学校の教員だと言っても、たいていの人は信じないだろう。もちろん、かれは他の教員たちとは違っている。サーティフィケートの一枚も持っているわけではない。かれは中学しか出ていないのだ。かれが豊かに持っているのは、路上のプガメン経験。かれは19歳のサンディと一緒に、子供たちに課外活動として音楽を教えている。かれは立派な課外活動教員なのだ。

アンドレの親は廃品回収者で、アンドレは貧困層の子供たちの例にたがわず路上で育った。プガメンで金を稼ぐようになる前は、親の稼業をみならっていた。中学二年のとき、ジャカルタ周辺部のストリートチルドレンに対する教育活動を行っているサンガルアカルの少年キャンプに誘われて参加したことがある。中学校にはそんな生き生きとした体験はなかった。中学校の卒業証書を手に入れたアンドレは、学校からは何も得られない、と考えて進学するのをやめた。そしてかれはプガメンの世界に入り、アルジュナ・フタガルンが指導する音楽教室に週三回通うようになった。それはサンガルアカルの活動の一部で、授業は夜9時から11時まで行われる。そこでかれはギターとバイオリンの実技ならびに作曲を学んだ。もちろん五線譜を使う。

去年アンドレは都内七つの学校で、音楽課外活動コーディネーターを務めた。一度も欠勤したことがない。アンドレの指導は子供たちに人気がある。自分が音楽教室で学んだときの先生の教え方を参考にしながら、自分なりに工夫を加える。6年生の生徒の一人は、家でピアノとバイオリンを習ったことがあるが、つまらなくて途中でやめてしまった、と語る。でもアンドレの教え方はわかり易いし、少しも退屈しない、と目を輝かせる。同校の校長代理は、アンドレとサンディは音楽教師としてのサーティフィケートを持っていなくとも、音楽の指導はちゃんとできている、と確信をもって語る。クリスマスと進級のときに、子供たちに発表会を催させるのが目標だ。

義務教育の無料化を政府がうたっているにもかかわらず、現実は公的教育機関の商業化が激しさを増している。国が与える教育を国民が買わされ、それを買えない貧困層はドロップアウトを余儀なくされる。サンガルアカルのような代替教育機関は、もちろん国が公認しておらず、そのため学歴資格を証明するサーティフィケートは存在しない。しかし教育が必要な時期に子供たちに教育を与え、貧困の中にいても子供たちが真の自分に出会うことを手助けするのは、それら代替教育機関を置いてほかにない。サーティフィケートはなくとも、実力を持つ人間はたくさんいる。しかしそんな人間に力を発揮させる機会を与えることは、本質を見抜く目を持ち、そんな目を持たない人々を説得できるやはり力のある人間にしかできない。アンドレは公教育の道を閉ざされた人々にとっての希望の星だ。

「学歴」〜卒論代行ビジネス(2005.10.10)

学歴とはいったい何だろうか?替え玉受験者を金で雇い、一流大学へ入学したあとは遊び呆けたあげく、卒業は論文を金で買い、口頭試問での質疑応答ポイントを伝授してもらってなんとか卒業を果たす。それで足りなければ、何百万何千万ルピアで修士号博士号まで買うことができる。一度も講義を受けたこともなしに、だ。もちろんアカデミック資格を売っている連中にとっては、教室も講義も縁がない。客を集めて卒業パーティとサーティフィケート授与式を一流ホテルで行うだけ。

学歴・資格がありがたがられるのは、社会が本質を見抜く目を持っていないから。だからお上やxx機関が出したサーティフィケートに頼って人を評価しようとする。するとサーティフィケートの有無だけが問題にされ、本人の能力が絶対条件とされないから、サーティフィケート売買ビジネスが生まれる。社会は一方でそんなものがあることを知りながら、本質を見抜く目をいつまでたっても涵養しないため、あいも変わらずサーティフィケートに頼り、贋造サーティフィケートが出現すると大騒ぎする。

今年8月に起こったノーザンカリフォルニアグローバル大学事件は氷山の一角で、このような学業なしのサーティフィケート取得を売り物にする非合法教育機関(詳細記事はhttp://indojoho.ciao.jp/jigyokeiei.htm「学歴詐称にご用心」(2005年8月12日)参照)はさておき、本物の大学生がちゃんと卒業できるように、卒論作成代行ビジネスがある。いや、学士レベルだけでなく、修士から博士号まで取り扱うというから、たいへんなもの。「だったら自分が博士になれば・・・」などと考える人は、きっとインドネシア新参者にちがいない。自分が博士号を持つことで満足できる収入が得られるなら、かれらはとっくの昔にそうしているにちがいない。

ジャカルタの一流国立大学で法学修士課程を修めたアグンは、2000年からそのビジネスを行っている。いや、本職は法律家で、卒論代行作成はもう一股の道。学生時代、かれは友人たちの論文作成を頻繁に手伝ってやった。そのうち、かれの才能が学生たちの間に知れ渡った。発表原稿から卒論までかれが作ってくれる、と。そのうち他の大学からもかれの助けを求めて学生が来るようになり、かれが請うまでもなく、かれの手に札束が手渡されるようになった。こうしてアグンは、2000年以来既に20人のために法学関連の卒論を書き、また10人のために修士論文を書きあげた。かれは自分で料金を決めたことがない、と語る。だから客がかれに渡す金額は1〜2百万ルピア。外国で開かれた法学関連のセミナーに出席する人に、発表論文の作成を頼まれたことがある。アグンがそれで得た報酬は、外国土産のTシャツとチョコレート。

中央ジャカルタ市サレンバにあるごみごみと建てこんだキャンパスの中に、フォトコピー屋が狭い店を開いている。学生の一人がやってきて、インスタント卒論はないかな、と聞く。すると店番のご婦人が即座に反応した。「何の卒論かしら。S1なの、S2なの?ここから選ぶ?」と言いながら数枚のリストをその学生に示した。そこには、法律、経済、経営、社会、文学などさまざまな学科にわたって、およそ2百の卒論タイトルが記載されている。ここでは料金が一件25万ルピアというホントの学生料金で、必死で値切ればさらに多少は下がるというから、ここより安い場所はインドネシア中探してもないだろう。作ってもらった卒論はディスケットに入って渡される。

ジャカルタ南部の学生地区であるデポッにも、同じような店がある。翻訳・製本・コンピュータレンタルという看板を掲げている住居店舗に入って卒論を尋ねると、まだ若い女性が応対した。ジャカルタのとある大学の経済学部を出たというかの女は、文科系なら何でもやるわよ、と語る。原稿作成、生データ(もちろんでっち上げ)の用意、プレゼン用透明シートへの清書など一切合財そろえてくれる。成績は最悪でBという保証つきで、2ヶ月かけて仕上げてくれる。料金はネゴ次第だが、平均して70万ルピア程度。
これはジャカルタだけの現象ではない。学生のいるところ、卒論代行ビジネスがないところはない。バンドンしかり、ジョクジャしかり。ジョクジャでは、ある名の知れた大学の教官がみずからそのもう一股商売に足を入れている。助手を5人使って、卒論から修士、はては博士号まで面倒を見る。学士号は5〜6百万ルピア、修士も博士も最低で5千万ルピア。

代行業者はジョッキーと呼ばれるが、バンドンのジョッキーのひとりは、卒論一件3百万ルピアで、前金1百万だと語る。ITマネージメントコースだと、コンピュータプログラム作成が学位終了テストの一部になる。これもビジネスの網の目から逃れることはできない。これは1件150万ルピアだそうだ。こうして見ると、ジャカルタの相場の安さが明らかに目を引く。経済原則はここにも生きているのだ。

かれら有能なジョッキーたちのサービスは、論文を書いて渡すだけではない。論文は言うまでもなくオーソドックスな形式を踏んでおり、担当教官が眉をひそめるようなものは決して作らない。しかし次の関門は口頭試問。そこで卒論が代行されたものとバレバレになれば、作った甲斐がない。だから作成者として、口頭試問を潜り抜けるためのポイントを伝授する。質問されそうなポイントを見つけ出し、どう答えればよいかを教える。中には一対一で口頭試問のリハーサルをしてくれるジョッキーもいる。少なくとも代行されたものでないことを示せるだけの内容理解が必要で、その先はどれだけ芝居巧者かという問題になってくる。ともあれ、こうして大勢のジョッキーが世話した学生たちは、学業終了前の最後の難関を巧みに潜り抜けてくる。卒業証書が手に入れば、学生とジョッキーとはもう赤の他人。本当は何があったのか、ということは闇のまた闇の中。こうして学士様、修士様、博士様たちがたいそうな学歴タイトルを引っさげて世を渡る。そうやって、地位、役職、名声、プライド・・・、自分が理想とした人生を手中にしながら生きていく。サーティフケートを示すかれらが理想の人生を手に入れるのに手を貸してあげた人々は、かれらの学歴が本当は中身のない風船でしかないことに気がつかない。


「契約結婚:ケース1」(2005.10.03)

通貨危機が始まって諸物価が荒れ狂い始め、世情が騒然となっていったころ、コミンは自分の30万ルピアの給料で毎日をどうやってしのいでいけば良いのかと頭を痛めていた。夫は職にあぶれていて、定収入を期待することができない。一日の稼ぎは2万ルピアに満たないのだ。そろそろ幼稚園に入る年頃の子供がひとりある。でもこの収入で、それはできそうにない。艶やかなスンダ美人の面影を持つコミンの学歴は中卒だが、会社の仕事はそつなくこなしている。かの女はボゴール県チトルッにある電子部品工場で毎日働いているのだ。

工場のボスは韓国人で、頻繁にラインを見回りに来る。ラインにいるのは大半が女子工員であり、ボスはその中の何人かにちょっかいを出すのが趣味だ。コミンはそんなボスをいやらしい男だと見ていたが、自分とは別世界の関係ない人間だという意識の方が強かった。ところがある日、別世界を形作っているはずの境界線が吹き飛ばされるような事態へと進展していったのである。

1998年、コミンは26歳。若さと初々しさをまだ強く持っていた。そしてある日、工場の仕事を終えたコミンに中年のインドネシア人が近寄ってきた。話というのは契約結婚。条件は、工場のボスがコミンを必要としている間その妻になり、『夫』はコミンの暮らしを十分成り立たせるだけの手当てを与えてくれる。しかしコミンは『夫』にあれこれ要求してはならず、ましてや束縛するのはもってのほかだという。妻の側に蜜月はない。『夫』が他の女に手を出しても、何を言うこともできない。ボスがいつもちょっかいを出している女たちでなく、どうしてこのわたしに・・・・。そんな困惑が脳裏を走ったのは最初の数分だけ。毎日の困窮生活の疲れの中で、コミンの心が動かなかったと言えば嘘になる。考え詰めた末に、コミンはその話を受けた。契約結婚の合意が成立したのである。このボスには、祖国に妻子があるというのに。

コミンは普段、本来の夫であるウジャンや子供と一緒に暮らしている。『夫』が与えてくれる手当てで毎日の生活に頭を痛める必要はなくなり、おまけにウジャンに月50万ルピアの小遣いまで渡すことができるようになった。しかし『夫』がコミンを必要とするとき、それはたいてい週末になるが、コミンは『夫』が用意した新居に行って暮らす。そんな結婚生活の中で、コミンは極東人の赤児を生んだ。赤児はコミンとウジャンが育てなければならない。だがその赤児のためのすべての費用は、本当の父親が出してくれる。コミンとウジャンの間でその子についての会話は一度もなされたことがない。あえて口に出すことを避けてはいても、ふたりともまめにその子の世話をしている。

契約条件は他にもある。『夫』が帰国したら、コミンとは赤の他人となるのだ。子供はインドネシアに残すが、必要な養育費の仕送りは続けられることになっている。

契約結婚はもう7年間続いてきたが、『夫』はその工場が立ち行かなくなっているため、数年後には工場をたたんで帰国する腹積もりでいる。そのあと、『夫』は本当に約束を果たし続けてくれるのだろうか?コミンは『夫』を信じるしかない、と思っている。自分から『夫』にねだり、要求するようなことは決してしないだろうと確信しているのだ。 




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