「ビマダ」(2005.9.26)
ハジ・ビマダ、38歳。バンテン州タングランのジュランマグ地区にある麺製造所で、かれは麺製造機に一心に取りかかっている。その部屋には別の作業者が直径10センチの竹で麺種を延ばしている。出来上がった麺は細く長くそして少し黄色がかった白色。世間でよく見かけるミー(麺)と取り立てて違いがあるわけではない。このミー商売の親方は、みんなに仕事を与えてやりたいのだ。巡回ミーバソ商売を。かつてわずかに8台の手押し屋台で興したビマダのビジネスは、今ではそれが193台という規模にまで成長している。
スラバヤ出身のかれがタングランで巡回ミーバソ屋の親方として地歩を築くまでには、長い道のりがあった。マランのムルデカ大学経済学部を卒業して民間カーゴ会社に就職したが、そんな人生は今ひとつかれの心にぴったりこなかった。2003年に有名レストランの支店を開いたが、自分の事業という達成感に欠ける。それとは別に自分のワルンバソをジョンバン、チプタッ、ジュランマグに開店したが、なんと倒産してしまった。何回か食べに訪れたスラバヤのバソ職人からミーバソの作り方を教わり、ジャカルタに支店を出そうともちかけたが、バソ職人にその気はない。結局自分の力を頼るしかない、と悟ったビマダは、2003年12月に巡回ミーバソ商売を開始したのだ。最初は自宅の応接とガレージで麺を作り、鶏肉に味付けする。「床がベトベトになったよ。」かれは当時をそう述懐する。最初は一杯4千ルピアの値付けで始めた。ミー、バソ、野菜、調味料、屋台に鍋や燃料など、必要なものはすべてビマダが用意する。手押し屋台を押して終日住宅地区を回ってくるトゥカンの手間賃は一杯売れば1千ルピア。おまけに一日の食費として1万ルピア、一日40杯以上売れば一杯当たり5百ルピアがインセンティブとして追加される。さらに月間インセンティブがひとり15万から25万ルピア。加えてトゥカンの下宿費用の援助やミーバソ原材料調達補助まで面倒を見る。ビマダのトゥカンになれば、身ひとつで金が稼げるということだ。
そんな風にして始めた巡回ミーバソ商売には、激しい競争という挑戦が待ち受けていた。そんなことは百も承知のビマダも、仲間と思っていたトゥカンに後ろからグサリとやられる苦い経験を重ねた。「田舎の人間は素朴で馬鹿正直だという先入観が昔はあった。けれども時代の流れの中でそれはもう昔がたりだ。」ビマダはそう語る。トゥカンはもっともっと金がほしいから、狡猾な手を使って親方の目をくらまそうとする。4千ルピアと決めてあるのに、一杯5千ルピアで売る。5杯分の材料を少しずつけちって6杯にする。あの手この手を使って、親方に渡す金から自分がもらえる分と、親方に分からないように自分のポケットの中に隠した金を合わせて自分のものになるようにしていく。そうやって騙されながらも、かれは実にさまざまなことを学んできた。
いまやビマダの台所では、25キロ入り小麦粉15袋、鶏卵150キロ、鶏肉150キロ、牛肉30キロ強が毎日処理されている。ビマダが使う職人たちが、麺を作り、野菜を切り、鶏肉に味付けを施す。牛肉からバソを作る。もはや数百人を使っているビマダは、それでも毎日使用人たちに接し、指導を続ける。かれの希望は、使用人たちがエントレプレヌール精神を会得してくれることだ。
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「インドネシアンフレンチの楽しみ」(2005.9.19)
「アドゥ〜、チャペ バガッ。ケアフォルが目茶混みでさあ、すっごい時間がかかってね・・・・・」
さるホテルのコーヒーショップで一服していたわたしから少し離れたテーブルにやってきたオーエルとおぼしきうら若い女性が、椅子を引きながらそこで待っていた別の女性にまくしたてる。聞くともなしに耳に入ってきた言葉にふとわたしは耳引かれた。『ケアフォル?Care For?おお、そうか、きっとCarrefourのことにちがいない。』この美人女性は英語風に凝ってみたが、大多数の人はカレフォルと呼んでいる。チャレフォルと言わないだけまだマシかもしれない。わたしの運転手はわたしのカルフルという発音を理解してくれるが、奇妙な発音をする日本人だと思っているようだ。
会社のオフィスに打ち合わせに来た広告会社のインドネシア人デザイナーは派手なブランド品で全身を固めている。「おや、カッコいいネクタイしてるじゃん。」と持ち上げると、「ええ、このカルティルは安く手に入ったんですよ。いくらと思います?」と乗ってくる。
『おいおい、そりゃCartierだろう?発音はカルティエだよ〜。おまえ、ホントに大卒か?』
「このまえ、シンガポールへ行ったときは、セールの最中でね、クリスティン・ダイヤーやハーミスが良い値段。」
『いやいや、そこまでシンガポールかぶれすることないじゃない。Christian DiorとかHermesのことを言いたいんだろうけど、男名のクリスティアンを女名に変えることはないじゃないの。』
「先週の日曜は、おばさんに誘われてプラザスナヤンに行ったんですよ。だってオレって高級品に目が利くでしょ。おばさんはね、フェルサスを何か買いたいらしくて・・・・」
えっ?と一瞬真っ白になったわたしの脳裏にゆっくり浮かび上がってきたのはVersaceのスペル。
所変わって都内のとあるプラザの一階。一階はどこへ行ってもまず例外なく化粧品売り場があるが、ここも戸惑いネタを集めるには格好の場。「イフ・サイン・ラウレン」と聞けば、読者ももうおわかりのはず。解答はYSLですが、ではジフェンチは?「えっ、中国ブランドの高級化粧品などあったかな?」と迷ってはいけません。Givenchyなんですよ、これが。
歩き疲れたので隣接ホテルのフランス料理店に入り、ワインとエスカルゴを注文する。隣のテーブルにはパリッとした服装のカップルが向かい合って座っている。さっきからメニューに首っ引きだった、ブレザーとミニスカートに身を固めた美女がウエイターに「じゃあ、あたしもそのエスカルゴッにするわ、マス」とオーダーした。それに続く言葉を耳にしたウエイターの顔がピクリと動いたのをわたしは見逃さなかった。「でもエスは少な目にしてよ。」
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「ランスンエナァァァッ!」(2005.9.12)
「よく勉強するんだよ。将来大きくなったらお医者様か技師様になれるようにねえ。」という親から子供へのせりふは、よほどの田舎へ行かない限りもう昔語り。では、現代の子供たちの夢はいったい何だろう?それは、手っ取り早くスターになって稼ぐこと。
インドネシアのテレビをご覧の皆さんはきっともうお気付きのはず。視聴者参加の「スター誕生」風リアリティショーが各チャンネルでしのぎを削っており、しかも視聴率は高い。Akademi Fantasi Indosiar (AFI)、Indonesian Idol、Kontes Dangdut TPI (KDI)がその三大登竜門で、それ以外にも他国のTV番組を換骨脱胎した賞金目当ての勝ち残り番組Penghuni TerakhirやJoe Millionaire Indonesiaなど、チャンネル勧誘争いは熾烈をきわめる。長丁場の勝ち抜き戦ともなれば、好い線まで行った参加者は、三ヶ月以上も高校や大学を休学し、あるいは定職さえも振り捨ててスターダムの道を突っ走る。
つい先日、2005年版第二代チャンピオンを生んだインドネシアンアイドル参加者のひとりウィスヌ・プラボウォ23歳は、コンテスト期間中パジャジャラン大学を休学した。「こんなチャンスは二度とないから。正直言って、アカデミックな能力だけじゃ、将来の成功は保証されないからね。」かれは軽くそう語った。やはりAFI2の参加者、バンドン出身のアマリア・ソラヤ20歳も、「高校を終えたばかりだけど、大学入学はコンテストのために先延ばししたの。大学へ行きたくないわけじゃないのよ。だって、大学へ入った後で、受講を穴だらけにするの、もったいないじゃない。」と語る。
インドネシアの諸コンテストでは、参加者は外見ばかりが重視されるのではない、と語られているものの、華やかなエンターテイメントの世界でそれなりの顔やボディ、ステージでの押し出しなどがあるレベルに達しているのが前提条件であることは、他の国と変わらない。インドネシアンアイドルでも、それまで市井の一青年男女だった若者が、コンテストの最終段階に至るころには、舞台で脚光を浴びながら、まるで見違えるような美男美女に変身している姿を目の当たりにすることができる。
いや、コンテスト参加者だけがそうなのではない。それこそ市井の一青年男女が美容整形に足しげく通い、白く滑らかな肌を求め、化粧を施して美しくセクシーな外見を作り上げる。パーソナリティデベロップメントのセミナーに通って、美しく見せるための立ち居振舞いを勉強する。最近の中高大学生はみんなきれいだが、その裏には子供たちのそんなモチベーションがひそんでおり、そしてそんな子供たちの親の多くが、わが子がモデルに、シネトロンスターに、ステージアーティストになるように子供たちを方向付けている。
華やかな世界での成功!それは手っ取り早くスターになって稼ぐこと。そこに至る近道に、親は惜し気もなく投資する。何でもインスタントの付け焼刃。本質はよく見えないが、スポットライトを当てれば外見は丸見えだ。人生の成功に向けてのジャランピンタス(近道)は、華やかな世界の拡大とともに何倍にも広がった。今はもう一昔まえの流行語になってしまったが、その本質は今でも変わっていないあの言葉のまま。『ランスンエナァァァッ!』
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「親孝行はまだ健在」(2005.9.5)
サンティとディアナの姉妹はまだ高校生。南ジャカルタのチルドゥッに母と女ばかり三人で暮らすこの少女たちは、近ごろ稀な親孝行。テレビでシネトロンを見なけりゃ友達の仲間に入れない、最近はやりのモードのひとつも着なけりゃ、ケータイ持って時には仲間とモールやカフェでたむろしなきゃガウルじゃない。そんな若者たちとは一味も二味も違っているのがこの娘たち。家にはテレビなんかない。母親はテレビを買おうとしないのだ。着ているものも、母親が働き口でもらってきた着古しのお下がり。「だってテレビをつけたら電気代がかさむでしょ。母さんだけが働いてるんだから、無理は言えないわ。」そう母親を弁護する娘たちに、不満や拗ねた衒いの影などみじんもない。自然体で、自分の考えを持ち、自分の置かれた状況に自分が主体者となって立ち向かっていく。そんな風合いがこの少女たちから滲み出てくる。自分の境遇を貶したり、韜晦的に自己卑下してみたりする暗さはそこにない。
どうやら少女たちのそんな気立ての良さは、母親譲りのようだ。ジョクジャ特別州グヌンキドゥル県出身のイロ43歳は、毎朝6時前にはもうピサンゴレンを揚げはじめる。娘たちも、学校へ行くまでの時間、母親を手伝う。イロの朝食はバナナ2本と砕いたコーヒー豆に熱湯をかけてその上澄みを啜るコピトゥブルッ。そう、ピサンゴレンはこの一家の食べ物ではなく、商品なのだ。6年前に夫が世を去ってから、一家の生活のすべてがイロの双肩に乗った。ピサンゴレンは一個5百ルピア。近隣の雑貨屋にも卸すが、卸値は一個4百ルピア。午前8時ごろには全部売り切れると言う。前日夕方にパサルチルドゥッあるいはパサルチプリルで仕入れるバナナ、そして植物油、小麦粉、プロパンガス、交通費などすべての経費を計算すると、ピサンゴレンの原価は一個350ルピア前後。ピサンゴレン商売であがる利益は一日2万4千ルピアだから、ひと月72万ルピアとなる。でもそんな金額で高校生の娘ふたりを抱えての生活は苦しい。だからイロはポンドッアレンの二軒の家で洗濯女の仕事をしている。その二軒の家はそれぞれ四人世帯で、洗濯だけをイロに頼んでおり、アイロンがけは家人が自分で行うので、各家でイロが受け取る報酬は月20万ルピア。これで月収は110万ルピア少々だ。娘たちが倹約を理解してくれるので助かる、とイロは言う。自分の昼食は一軒の家で洗濯をするとき、その家の主婦が食べさせてくれる。夕食はもう一軒の家で。でもイロは一度も食事をねだったことがない。そんなことは礼儀をわきまえる人間のすることではない、とイロは確信している。
仕事で疲れて帰ってきた母親の服は、娘たちが交代で洗濯する。母の身体にバルサム油を塗ってマッサージをしてくれる。グヌンキドゥルで生まれ育ったイロは、働き者のグヌンキドゥル女の典型例かもしれない。そして娘たちには、その血が流れている。
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