(5月6日更新)
シリーズ第一回の御登場はインドネシア滞在暦39年の吉川嘉彦さんです。 吉川さんは1964年ジャカルタに来られ、68年の軍事政変を目の当たりにされた貴重な歴史体験をお持ちです。 ジェイピープル編集部は、吉川嘉彦さんへのインタビューを前後半の二回に分け、氏の貴重な歴史的体験を定期的にお伝えしていきます。今回は後半のインタビューをお伝えします。





吉川さんは現在ガトットスブロト沿いにある高級コンドミニアム・PalmaCitraのマネージャーをしていらっしゃいます。

前回(4月8日掲載)はインドネシアに来られてすぐ遭遇された「9.30事件」を中心にお話を伺いました。インタビュー後半は現在に至る経緯をお話し頂きました。

――まずどんなお仕事をされたのですか?

66年に石油開発プルミナ(現プルタミナ)の仕事に携わりました。南カリマンタンおよび東南カリマンタンと沖合いの海域およそ185000平方q(日本国土の約半分)から油田の探査・掘削する仕事です。日本の石油資源確保の為と、一番おもしろそうでやりがいのある仕事だったので選んだのです。掘削基地の建設及びその供給基地の仕事に携わりました。ジャカルタやスラバヤに基地を作ると泥棒にあってどうしようもないと言うので、どえらい辺鄙な島を海軍水路部の船を借りて調査しに行きました。調査というよりも探検ですね。(笑)事務所を作るのも大変です。机ひとつ椅子ひとつさえない土地へ事務所を作ろうとするのですから。机や事務用品などすべてジャカルタやスラバヤから海を越えて持ち込むのです。よくやっていたなあと思いますよ。(笑)結局一滴の原油も出ず、会社も解散消滅、それから大手建設会社に再就職し、製油所タンク基礎工事の手伝いを始め、連絡事務の仕事に携わりました。

――78年に脱サラしたとお伺いしましたが。

78年に脱サラしてからはいろんな仕事をやりました。お金もまったくなかったので、当然大きな事業はできません。一番始めにやった仕事は、工業省の肥料工場向け、製紙工場向けのパーツ類を輸入する仕事です。インドネシアの全製紙工場を回っていました。ところが当時はどんどん円高ドル安になり、日本の製品が欧州などにくらべて、随分割高になってきておりました。それでも何とか売らないといけないものですから、朝駆け、昼駆け、そして夜討ちと徹底してローカルの人々に営業しました、しかも毎日。さすがにインドネシア人も私に根負けしたのか、「欧州の製品はこれだけの値段なので、これぐらいに値下げしないと勝てないよ」と内緒で教えてくれたこともあります。そのお陰でうまく契約にも漕ぎつけ、内地側は信じられないほど利益を得たということです。ところが日本側は利益を得ているものの、そのうち私の方へお金(コミッション)を送ってこなくなった。原因は社長のこれ(小指を立てて)です。お妾さんが五人もいたそうです。それで最後にはにっちもさっちもいかなくなり、その仕事からは手を引きました。

それからしばらくの間はどうやって生活していこうと途方にくれていたのですが、私の場合、不思議なもので、窮地に陥ったとき必ず何等かの誘いがあるのです。有難いことです。三年ごとにその波が訪れるんですね。偶然出会った旧知の人から、商売の仲立ちを頼まれたり、売買の仕事を手伝ってほしいと言われたり、それでどうにかやってこれました。自分で始めた「スクラップをアルミニウムに溶解しインゴットにして」それを売買する仕事は大失敗でした。いまだに借金を返していますよ。(笑)

――それから今の職業(PALMCOURTのMarketingManager)に至った経緯を教えてください。

98年の経済危機には本当にまいりました。仕事を探しても、取って来ても、何をやっても、もらえるお金は微々たるもの。なんせ貨幣価値が五分の一になったのですから、もうどうにもならない。で、そのときは仕方なくジャカルタを撤退したのです。それからしばらくして、やはり旧知の人から連絡があり「あるマンションの建て直しをやってくれないか」と。入居率が最低で、どうしても日本人のマネージャーが必要だということです。それで、現在のPALMCOURTの建て直しを頼まれ、現在に至っています。私が来たときのマンション入居率は30パーセントほど。精力的に動き回った結果、現在の入居率は80パーセントにまでなっています。

――ジャカルタで頑張ろうと思っている人にアドバイスをお願いします。

78年に脱サラしてから、いろいろな商売をやりました。儲かったこともあったけど、損をしたことの方が多いかな。アドバイスなんて偉そうにできないのですが、まあ反面教師として聞いてください。日本人だからといってむやみに人を信用しないこと。インドネシア人でも信用できる人は大勢います。それに日本人にだまされ裏切られたときのショックは大きい。インドネシア人にだまされても諦めがつきますからね。(笑)

インタビュアーハルより一言〜ジャカルタでは長老の一人でありながら、私のような若輩者にも非常に腰が低い吉川さん。財を成した成功者だけが立派な方ではありません。吉川さんのような草莽の人々がインドネシアと日本の掛け橋になってくれたことにより、私達も偉そうな顔をしてジャカルタで暮らしていけるのです。休日にはインドネシアを愛する有志の人々と語り合い、数多くの仲間のみなさんとインドネシアライフを楽しんでおいでです。今後ジェイピープルでは機会があるごとに「吉川さんと愉快な仲間たち」を御紹介していきたいと思います。