
ジャカルタ著名人辞典といってもいい第一号に登場して頂くのは、最新トピックスでお伝えするジャカルタ祭りの発起人、PT HAMAN ROKKOの村上秀喜さんです。
――インドネシアにいらっしゃたのはいつ頃ですか? インドネシアにやってきたのは1982年の10月ですから、かれこれ20年前になります。初めて海外に出たのは28年前。ナイジェリアに始まり、リビア、イラン、イラク、サウジアラビアとイスラム圏を転々、たどり着いたのがインドネシアでした。工事関係のスーパーバイザーとして、海外進出企業のプレハブ事務所や宿舎を建設するのが主な仕事です。
アフリカや中近東のイスラム国と比べてインドネシアはどうですか?
天国ですね。(笑)まず緑がある。酒も飲める。女性とのお付き合いもざっくばらん。インドネシアに来て文句を言う方が少なからずいらっしゃるが「それでは一度アフリカや中近東を訪れてみて下さい」と声を大にして言いたい。(笑)
いまもあまり事情は変わっていないと思いますが、とにかく当時の中近東といえば、本当に娯楽がなかった。緑がないのだから、ゴルフなんてとんでもない話。それでも何とか遊びを考え出さないとさらに気は滅入る一方。で、考えたのが砂漠にコールタールを固めてグリーンを作り、俄かゴルフ場に仕立て上げるというもの。グリーン以外は全部バンカーですから、キャディーバッグとともに必ずミニゴルフマットを持参、ショットするときはいつもそのミニマットの上にセットアップしてボールを打つんです。グリーン周りからはマットを使用しないルールなので、高くあがったアプローチがグリーンに届かず、手前の砂にずぼっとめり込むと悲惨です。みんな仕方なしに技術が向上していく。あのときの経験で、ゴルフも随分上達したかな。(笑)
だからサウジアラビアからハリム空港に降りたときはちょうど雨季でもあり、緑の多さに大感激したことを覚えています。インドネシアでの初めての夜はプレジデントホテル。酒は飲める。日本食は食える。本当に天国だと思いましたよ。(笑)
――独立されて今の会社を始めたきっかけは?
当時勤めていた会社がインドネシアより撤退することになったのです。それをそのままそっくり引き継がしてもらった。会社の方も対外的に『形としては存続』で撤退よりはずっと聞こえがいいわけで、しかもオーナー会長であったため「人の援助、日本での営業、資金の援助はしてやる。しかし退職金は無しだよ」と…。今考えると本当に運がよかったかもしれない。しかしいくら運がいいといっても順風満帆でここまでこれた訳ではありません。ピンチの時も当然ありました。しかしそんなピンチの時でも人に恵まれた。人とのつきあいを大切にしてきたお陰で、ゼネコンが代わっても電気工事関係だけはうちがやらせてもらえるといった具合に事が運ぶことも多かった。やっぱり運がよかったのかなあ。(笑)
――『日本の祭り』をジャカルタに持ち込もうと思ったきっかけについて教えてください。
他人様のお陰でここまで会社を存続し、発展させることができたと思っています。この恩恵はいずれは人に返さなくてはいけないもの。自分の努力でここまで来たなんて傲慢になってはいけない。そこで思いついたのが、日本の伝統文化である御神輿(おみこし)をインドネシアに持ち込み、ローカルの人々に『日本の祭り』を楽しんでもらうというもの。踊りや民謡も面白いんですが、やはり技術的にローカルの人々が参加することは難しい。しかし御神輿は違います。担ぐことで気軽に参加できるのが御神輿のいいところです。ローカルの人々だけではなく当然我々日本人も楽しめる。言葉は通じなくても祭りの楽しさは共有できます。言葉を通さずコミュニケーションがはかれる訳です。
ここ数年、民主主義の名のもとに何でも自由になったはずが、インドネシアの人々はすっかり疲弊しています。彼らは日本の演歌が大好きです。歌詞はわからずともメロディーで悲喜こもごもを理解し、涙を流すことさえあります。そんなすばらしい民族性を思い出してほしい。お祭りさわぎすることで純真無垢なインドネシア人に戻ってほしい。日本の祭りがそんな一助になるのであれば、こんなに嬉しいことはありません。
――将来の抱負を聞かせてください。
『祭り』に関しては、将来的に日本の民謡、踊り、またこちらの民族舞踊などにも参加してもらい、リオのカーニバルのようにスディルマンを大行進できるような夢のあるものにできれでばいいなあと思っています。(笑)仕事を引退後はこんな活動に専念したいですね。
インタビュアーからひとこと〜村上秀喜さんは1942年生まれの61歳。61歳とは思えぬパワフルな行動力と言動に感心することしきり。三代続いた江戸っ子だそうで、お祭りが大好きなのは当然、しかも子供の頃からボーイスカウトに参加してきた事で、子供達との交流も大好きなんだそうです。ジャカルタに日本の祭りをもってきたいと言う村上さんの気持ちを十分に理解できました。
|